社会的な尺度における劣等感について考える機会があった。
『僕は、東大です。』
『僕は、ゴールドマンにいきます。』
『僕は、学生団体でこういうのをやってます。』
何てむなしいんだろう。って、いつも思うけど、
僕も、日本で生活してるうちは、やっぱり、劣等感というより、
相手方の優越感を感じる事があります。
意識的には、そんなのないよ!って言ってる人は多数いるけど、
無意識的に、その人のプライドになっていたりする。
大学の基準。就職先の基準。そんな偏差値の様などうでもよい基準が
未だに根が張っていて、プライドと密接に絡まってくるものだから
不快に感じる事もたくさんある。
僕も、去年、海外に1年間出る前までは、そんな都合の良い
システムに強く影響されていた。
でも、これからは、個人がそれぞれのモデルを自分で追及していくしかない
ので、そういった前の時代に生きてきた人たちのシステムの中で
気持ちよくなったり、気持ち悪くなったりするのは危険だと思う。
良く言われる事だけど、近代化の時代にあった国民の全員の目標なんて
もうないから、これから、昔の『長島』『力道山』なんて生まれないし
そういった頃にうまくいった全員を同じ基準で計る事では、
何も生まれない。
僕達は、狭間の世代なんだと思う。
近代化が終わって、これからは、成熟社会の中で生きていく。
インターネットっていうもののおかげで、世の中のスピードが異常に
早くなってきていて、僕達が追っかけてきた背中を見て判断したのでは
通用しなくなっている。
共通のモデルなんてないし、こうして生きたらいい!なんてものもない。
誰かの真似をするんじゃなくて、自分だけで考えていかないと幸せになれない。
他の誰と社会的な規範の中で比べるんじゃなくて、
自分の好きの中で、一番になっていかないとね!!
そんな土俵の中で、
劣等感なんて、感じる必要もなければ。
優越感なんて、感じる必要もない。