もう少し、考察を加えてみる。
僕の尊敬するR氏より新しい視点をもらったので、
それらを踏まえながら。
http://koking.jugem.cc/?eid=85#comments
>>>R氏曰く
きっと、「価値観のずれ」は昔からあったと思うんだよ。
古代ギリシアの文書にだって、「最近の若い者は・・・」
と書かれていたと言うし。
「コミュニケーション力の不足」
「コミュニケーション力」の他にもうひとつ重要な要素に、
「想像力」も上げられるかもしれない。
人の痛みを想像すること、他者にも別の価値観があると想像すること、
自分のまわりにも知らない広い世界があることを想像すること。
>>>
間違いなく『価値観のずれ』は昔からあると思う。
変化のスピードが速いという理由が、拍車をかけているのかな?
ちなみに、僕は、日本以外の事は、からっきし想像できないので
あくまでも、日本の戦後からの歴史しか想像できませんでした。
僕は、以前のブログに書いたけど、
『近代化が終わった』って言う事が、一番、大きいと思っている。
以前の60代〜80代の人たちは、多少の違いはあれ、
『豊かになる』という近代化の大目標が前提としてあって、
その文脈の中での価値観の相違であったから、違いがあったとしても
理解はできる土台があったのではないか?と思う。
経済が右肩上がりで成長している時に、国民全員が一丸となって
働いて、豊かになってきた。
車に初めて乗る喜び。テレビがカラーになった時の驚き。
感情が触れて、泥臭いけど、夢がそこら中に落ちていたのだと思う。
でも、近代化が終わり、パイをとりあう時代になった今、
これまで近代化のシステムの中で通用してきた事が通用せず、
そもそもの価値観の土台が共有しあえないのだと思う。
『個人』にスポットがあたる時代だ。
もう全員で何かを追っていくなんて事はありえない。
僕は、自分の親を人間として尊敬していても、
まったくといってイイほど、価値観が違い過ぎるため
話をしても、通じない事が多い。
そして、僕が、茨城にいたままだったら、彼の様になったかもしれない
と思ったのは、
こういったケースは、間違いなく誰にでも起こる可能性がある。
という事を前提にしないと、何も解決しないと思う事。
(実際に、僕は、可能性があると思っている)
誰にも人に会いたくない位、落ち込む時もある。と思っている。
最初は、ささいな事だけど、それが続いてくると、外に出る意味、
気力がなくなってくる。僕は、周りに、今の様な人たちがいなければ、
なお更、自分の心の内側にこもると思う。
そして、近しい親は、自分を守ってくれるのではなく。
世間体を守ろうとする。そのストレスにいつか心が耐えられなくなるのではないか?と思って怖くなった。
僕達は、自分より上の人たちの背中を見て育ってくる。
でも、その人たちは輝いている顔をしていない。
夢がないで生きていくのは、辛いと思う。
何かを諦めないと生きていくのが辛い。
今、『イチロー』や『田伏』、『中田』を見ても
自分の夢としてシンクロなんてできない。
彼らは彼らであり、僕は僕。
そういう時代が始まっていて、誰かに自分の生き方を投影させても
幸せにはなれない。
>>>>
とここまで書いて、R氏の真意に沿っていない文章を
書きなぐってしまった。
>R氏、ごめん。
時間がない。
これから、用事がありまして。
きちんとした考察は、また今度。